2013年6月7日

ビルマ戦線で対戦車砲兵として戦われた方とお話しました。有名なインパール作戦で、部隊で唯一の生き残りだそうです。(弾痕あり)

「マラリアにならんもんはおらんかった」「アメリカ製戦車の装甲が厚くて正面から攻撃してもだめだった」

ひどい負け戦で戦闘以前に病死、餓死した兵隊が多かったようです。指揮官についても頭がよっぽど悪かったように言われているようですが、歴史家の評価はまた異なるようです。

英国の歴史家・ロンドン大学教授のエリック・ホプスバウは、二十世紀を回顧した近著『過激な世紀』の中で、「インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派による非暴力の独立運動によってではなく、日本軍とチャンドラ、ボース率いるインド国民軍(INA)が協同してビルマ(現ミャンマー)経由インドへ進攻したインパール作戦によってもたらされた。」と述べている。

ルイス・マウントバッテン大将(英国軍東南アジア総司令部司令官)

かつて不敗を誇った日本軍も半年の死闘に衣服や靴もボロボロとなり、ささえるものは不屈の精神力だけであった。日本軍はインパールにおいて、ついに敗れたが、そこには何かが残った。それは歴史学の権威トインビーがいみじくも喝破したとおりである。すなわち『もし、日本について、神が使命を与えたものだったら、それは強権をわがもの顔の西欧人を、アジアのその地位から追い落とすことにあったのだ』