常識は覆る・・・湿潤療法と糖質制限

2018年2月14日 再掲 常識は覆る

糖質制限通信 2016年4月号より引用・・・中学の先生のすごい予言。

医療法人 杏クリニック 院長 山本 拓

君たちのこれからの人生で、常識が覆ることが何度かある

41年前に坊主頭の中学1年生であったとき、国語の授業中に発した内田先生の言葉を今でも鮮明に覚えている。内田先生は、母校の校歌を作詞された教育熱心な国語教諭で、授業中にトイレに行きたくなった時には手を挙げて「自然が私を呼んでいる」と言いなさいと話すユニークな先生であった。13歳の私にはその言葉の意味が分かるわけではなく、単に変わった面白い先生だなと感じていた。

大学を卒業するまでは、その言葉の意味をあまり意識することが無かった。医師として社会人となり内田先生の言葉通りに常識が覆ったことが2つあった。「湿潤療法」と「糖質制限」である。湿潤療法は、顧問の夏井睦先生が提唱し実践されている方法で、個人的には12年前から行い、現在は日常的に普通に行っている治療法である。糖質制限は、この通信を読んでいる多くの読者と同じく夏井先生のサイト「新しい創傷治療」がきっかけで始め、現在スーパー糖質制限を実践して4年が経ち、江部先生とのご縁ができて、この通信を書かせていただくようになった。

昭和62年に外科医として医師人生を歩み出し、大学に在籍し多くの学会に所属していたときは、先輩から教えられたとおり従順に何も疑わず、約束事のようにイソジンで傷口を消毒をしていた。ソフラチュール、ガーゼを使い、熱傷には感染を防ぐ為にたっぷりのゲーベンクリームを塗り、なかなか治らないと感じていた。また深い熱傷にはメッシュグラフトの植皮手術を行い、外科医に必要な手技であると思っていた(診療報酬の点数が高いからという事などは考えていなかった)。多忙で日常業務をこなすのに忙殺されていたからだけではないが、それが常識であると疑っていなかった。

契機は、平成15年に地方の病院で勤務をしているときであった。一風変わった若い先生を通じて初めて湿潤療法のことを知った。それまでの常識と違うやり方に対して外科・整形外科・脳外科・泌尿器科の医師達は「今までにそんな事は聞いたことがない、何かトラブルがあったらどうするんだ」と一斉に反発し受け入れなかった。しかし、同じ外科で働く立場であり、頭から否定するのなくまず自分でやってみて(実験してみて)評価しようと思い、湿潤療法を始めた。

最初は戸惑いや試行錯誤もあったが、実際は傷の治りも圧倒的に早く、感染しているじょくそうもきれいに治った。湿潤療法の正しさに確証を得て、それ以来消毒をする行為はできなくなった。

平成18年8月にメスを置き老人病院に勤務するようになり、糖尿病をはじめ生活習慣病の患者を外来・病棟で治療する機会が増えた。製薬会社主催の講演会やウェブシンポに積極的に参加し、著名な大学教授の話を聞いて勉強をした。それにより沢山の内服薬やインスリンの使い方を理解し、一通りの糖尿病の治療ができるようになった(つもりでいた)。

平成15年から毎日チェックしている「新しい創傷治療」のサイトが、平成23年11月から糖質制限の書き込みが始まり、12月には糖質制限の記事で埋め尽くされ、いつのまにか「新しい糖尿病治療」=(糖質制限)のサイトに変わっていた。

しばらくは静観していたが、湿潤療法をはじめたのと同様に自分で確かめてみようと考えた。夕食の主食をやめ、昼食のごはんを止め、その後は3食とも主食をやめ、平成24年2月からスーパー糖質制限となり現在に至っている。自分での減量効果や血液データ(特に血中のケトン体の測定など)を調べ、また体調の良さを実感してから患者さんに説明し、糖質制限治療を始めた。しかし、勤務医時代は入院中の食事内容(既存のPFCバランスが決まっていること)、濃厚流動食(脂質の多い流動食への変更が出来ないこと)に対する経営的に難しい問題に直面し、実践するのに壁を感じていた。

平成25年9月に開業し勤務医時代の束縛がなくなり、積極的に糖質制限を推進する糖尿病治療を外来で行えるようになった。

この原稿を書くにあたり、湿潤療法も糖質制限もなぜ今も実践できているか考えてみた。夏井睦・江部康二両先生の共通点は、パラダイムシフトを起こさせてくれた理論や効果はいうまでもなく、個人の業績にとらわれる事なく無償でインターネットを通じて治療法を世界に発信し啓発活動を行い、また自らの足で全国を飛び回り講演をする行動力、人をひきつける人間的魅力が(ときどき緩む私の)心の琴線に触れていることに気づいた。