死ぬことを学ぶ モンテーニュ エセーより
[amazonjs asin=”4003250915″ locale=”JP” title=”エセー 1 (岩波文庫 赤 509-1)”]
死は避けられないものである以上、いつ来ようとかまわないではないか。(中略)
あらゆる苦しみから解放されたところへ移ろうというのに、それを悲しむとは何とおろかなことだろう。
なぜ飽食した客人のように人生から立ち去らないのか。
もしも人生を利用することができなかったのなら、それを失った所でなんだというのだ。何のためにそれ以上生きることを望むのか。
父たちも別のものを見なかったし、子孫もまた別のものを見ないだろう。
これ以上おまえのために、おまえを楽しませるために、考えたり、つくったりするものは何もない。万事はいつも同じままだ。
他人に席を譲れ。他人がおまえたちにしたように。
好きなだけ生きて、数百年をかちとることができたとしても、永遠の死がまっていることに変わりはない。
おまえは、本当の死には、死んで横たわったおまえのそばに立って嘆き悲しむ別のおまえなどはいないということを知らないのだ。
われわれの生まれる前に過ぎ去った無限の日々は、いかにわれわれと無関係なものであるかを思え。
夜は日に継ぎ、日は夜に継ぐけれども、1日として赤児の産声にまじって、暗い葬式に列なって死者を葬る者の悲痛な叫び声が聞こえないときは無い。