主人公に自分の名前を付けた。 チャーリー・ブラウン。

聖書の男 | 午前4時のフィールドノート
@Biblicalman
·
16時間
ウォルト・ディズニーはかつてチャールズ・シュルツに、背景画を描くほどの腕前はないと言った。

定型文。とても丁寧な言葉だ。

「我々は最高のアーティストしか雇わない。」

スパーキーはそうではなかった。

卒業アルバムには彼の漫画は掲載されず、学校は物理で0点をつけた。8年生の時は全ての科目で落第した。

全て。一つも。一つも。

他の生徒たちは彼を「スパーキー」と呼んだ。漫画に出てくる馬にちなんで。

彼らは彼を動物と呼んでいた。

ポール・ハーヴェイはこう言った。

「スパーキーは実際には他の子供たちに嫌われていなかった。誰も彼を嫌うほど彼を気にかけていなかったのだ。」

そこで、この目に見えない少年は奇妙なことをした。

彼はディズニーの誤りを証明しようとはしなかった。

彼は代わりに漫画で自伝を書いた。

主人公に自分の名前を付けた。

チャーリー・ブラウン。

凧が全く揚がらない少年。チームが勝たない少年。片思いの相手にも気づかれない少年。

そしてシュルツは、放送局の幹部たちが嫌がることをした。

クリスマス特別番組の中心にルカによる福音書2章を据えたのだ。

「恐れるな。見よ、わたしは大きな喜びの福音をあなたたちに伝える…」

彼らはそれをカットするように言った。

宗教的すぎる。

彼は拒否した。

クリスマスイブ、何百万もの家族がそのシーンを見るだろう。

敗者が使者になった。

ディズニーは彼が十分ではないと言った。

神は違うと言った。